「なぜ起業という道を選んだのですか?」
早稲田大学・政治経済学部を休学し、起業をしてから4年近くの月日が流れる中で、
上記の質問を頂く機会が何度もあり、その度に起業した当時の自分を振り返りながら質問に答えていました。
母校の中高一貫校での卒業生講演会でも話しをさせて頂いた内容と重複する部分は多々ありますが、
改めてブログを始めたこの機会に自己紹介も兼ねて文章に起こしてみたいと思います。
自分語りにはなりますが、将来を悩む学生たちにとって少しでも参考になればな、と。
今回は、プログラミングを覚えた方法やそのマインド等には触れません。
中二病患者な大学生
当時中二病(中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を行うこと)が抜けきれていなかった僕。
今も抜けきれていないのかもしれませんが。笑
とにかく、当時の僕は漠然と“普通の人とは違う人生を歩みたい”と考えていました。
所謂大手企業に入社し、そこそこの出世をし、幸せな家庭を築く。
そうしていくなかで、良くも悪くも社会の、そして会社の歯車になる。
中二病で夢見がちな当時の僕は、誤解を恐れずに言うと、そのような“普通さ”につまらなさ、耐え難さを感じていました。
とはいえ現実問題、大学3年生にもなると、周囲の仲間がインターンなど就職活動を見据えた動きをし始めます。
そこで考えられる“普通じゃない”生き方の1つが、プロサッカー選手やプロの野球選手、プロミュージシャンといった所謂プロフェッショナル業。
好きなこと極めて生きる、そんな世界に憧れを無性に感じていました。
しかし、残念なことに僕にはこれといって突出した特技はありませんでした。
昔から好奇心に任せてそろばんや書道、水泳やサッカー、映像制作など、様々なことに手を出しては思い切りハマり、すぐに飽き、違うもに手を出す、ということを繰り返していました。
好奇心に任せてたくさんのことをある程度のレベルまでハマっていたおかげで、多くのスキルをそれなりにこなせるレベルで持ってはいるものの、どのスキルもそれを専門的に続けて来た人には到底かなわないものでした…。
昔から落ち着きの無い子供だったので、1つのことだけにエネルギーを注ぐ、その才能がなかったのでしょう。
『留年確定』、という契機
当時の僕は大変不真面目な学生であり、バイトやサークル活動、毎日のように開催した飲み会にかまけてほとんどの授業をサボるという親不孝者でした。
恥ずかしながら、そのような生活を送っていれば、当然のごとく出席日数が必要な授業では尽く単位を落としてしまい、その結果1年の留年が決まってしまったのです。。。
そんな中でも周囲の仲間は将来に向けて、インターンや学生団体での活動を行いながら将来のプランニングをしているわけで。
そりゃぁもう焦りますよね。笑
毎日一緒に馬鹿をやっていた仲間が将来を見据えて動き始める中、自分は取り残されるわけですから。
そういった状況の中で、湧き上がる焦燥感に苛まれながら必死に将来を模索していた中で出会ったのが、“学生起業”という選択肢でした。
起業という“珍しさ”に惹かれた
“普通の人とは違う人生を歩みたい”といった気持ちを、20歳を超えても持ち続けてしまった重篤な中二病患者の僕は、とりあえず右にならえで学生団体やインターンをしながら将来を模索していました。
そういった生活を送りながら、ひょんなことからとある起業家の先輩と出会い、個人的にお仕事をもらっていく中で、“学生起業”という選択肢があるんだな。そう気づいたのです。
当時、ベンチャーキャピタル(以下VC)たちが躍起になって学生起業という市場を盛り上げていました。
【起業】、という“普通の学生が取らない選択肢”に興味を持った僕は、VC主催のカンファレンスや実際にVCから出資を受けた学生たちに会いに行き、多くの話を聞く中で、”辛そうだけど楽しそう”という印象を抱いたのでしょう。
どのように起業をすればいいのかだけを考えるようになりました。
起業=“珍しいこと”。
所謂“普通の人生”を送ることに納得できなかった僕の心は、起業という選択肢の持つ特異性に魅了されてしまったのでしょう。
誰かの指示命令下におかれることを極端に嫌う、社会不適合者どんぴしゃな僕は、
いつかは起業したい
独立して仕事をしてやる
という漠然とした思いだけは持ち合わせていたため、【起業】という選択肢は僕にとって、生きる上で最高の選択肢なのではないかという結論に至ったのです。
挑戦とリスク
僕は何事においても行動・挑戦するにあたって、最悪のケースというものを考える癖がありました。
【起業】という選択肢を選ぶにあたっても、そのメリットも考えながらもデメリット、最悪の場合についても熟考しました。
そこで出した僕の結論は、『たとえ失敗しても、若いうちなら人生如何様にでもなるのではないか』というものでした。
たとえば、僕がサラリーマン生活の中で、順調に大切な女性とめぐり逢い、幸せな家庭を築いたと仮定しましょう。
そんな順風満帆な人生を手に入れた状態でも、おそらく僕はどこか“物足りなさ”を感じてしまうと思ったのです。
なぜなら、僕の中には“普通で在りたくない”という傲慢で中二病的な意識が根付いてしまっているのですから。
そこで一発奮起、【起業】を志すのは僕にとっては必然に感じました。
しかしそれでも、幸せな家庭を持ち、会社内でもある程度の地位を築いた時、【起業】という選択肢を躊躇ってしまうのではないか、そういった幸せを失うことを恐れてしまうのではないかと考えたのです。
一方で、当時の僕はただの不真面目が祟った結果留年を控えた学生でしかなかったわけです。
「失うものは何もない。」
そう気づいた時には僕は【起業】することしか考えられなくなっており、その目標に向けて日々を過ごすのみでした。
決してサラリーマンから起業をした人を貶すつもりも否定するつもりもありませんが、僕にとってはその方法は怖かったのです。
将来【起業】を欲する自分がいることは間違いない。
しかし、失いたくないものを抱えたうえで、果たして自分に【起業】という決意が出来るのだろうか。出来ないのではないか。
そう考えると、“今しかない”という結論に至ったのです。
まずはやってみる
当時の僕は平凡以下の不真面目な学生でしたから、当然のごとく突出したスキルはない、知識はない、人脈もない、という、起業をする上で必要と思われるものを何一つ持ってはいませんでした。
僕が持っていたのは好奇心と挑戦心のみ。
先述の通り、当時の僕は自身の失うもののなさに気づくことができたので、がむしゃらに行動することに決めました。
何事も、まずはやってみよう、と。
経理の知識もない、大したマネジメントのスキルもない、そもそも営業スキルも生産スキルも無い中でも、それらを一つ一つ構築していくことにしたのです。
それでもなんとか紆余曲折を経ながら、3年で70%の起業が失敗するという恐ろしい現実を超えて生き残ることが出来ました。
何事も恐れずに戦っていくことがどれだけ重要かを学んだ3年間だったと思います。
ただの壮絶な自分語りになってしまいましたが、起業を志したり何かにチャレンジすることを考えている学生に伝えたいことは、失敗を恐れずに荒波に飛び込むこと。
それが自分が思うままの人生を歩むための方程式だと思っています。
何をしてきたか、実際にプログラミングを学んだ経緯、手法などについては、またの記事で紹介させてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました!